つだの声 

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東日本大震災支援ボランタリーバス事業に参加して

日記8月16日~19日 掲載
≪東日本大震災支援ボランタリーバス事業に参加して≫
                     
 
川西市議会会派室の津田机上に置かれた一枚の用紙発見。日程的にOKと判断。お盆明けのスケジュールであり、体調には十分注意しての参加を胸に秘めながら、応募。「市民の方々の多くが希望されて、バス乗員定数で抽選にでもなるようならば、津田は外してください。」と注文を付けて、8月8日の応募締め切りまで待ちました。結果参加できることに。

2011年8月16日夕方4時集合5時出発式後、出発。8月19日朝の川西着の行程。往復はバス使用。2時間おきにトイレ休憩などを取り、ゆっくりした走行で現地まで13時間。一泊は松島で泊。

 
川西市社会福祉協議会主催、川西市は後援というスタイルでの募集。22人の参加者、社協のスタッフ3人に添乗員1人、運転手2人で総勢28人の一行。

一人当たり5000円の出資、保険などに加入、一泊の宿泊費用の負担という格好。

道中の飲食は各自負担、現地の食事は、調達していただける。市からの補助金を受けての事業。

何よりも水分補給し熱中症にかからないように一日1リットルと。日ごろは飲まない栄養ドリンクや硬水や医療用の水分などを買い込んで大きなリュックと小さなリュックとポシェット。
長靴を入れた大き目のカバンを持ち込みいざゆかん。

川西社会福祉協議会菅原会長、川西大塩市長、今回の代表長野玲子さんの挨拶を終えて記念撮影。


写真添付

渋滞にかかりませぬように、現地に8時半よりも前につきますようにとの祈りをこめてひた走ります。
北陸自動車道から新潟を抜け、阿賀野川SA、磐梯山SA、安達太良SAを超え、蔵王SAについたのは夜中3時過ぎ。仙台で女川組と南三陸組に別れました。

今回は、女川町ではマリンバとサックスの演奏で癒しをできたらという企画と南三陸町では瓦礫の撤去・写真の修復・泥かきの活動計画。丸二日間の活動をわかれてしようというもの。津田は勿論がれきの撤去などの南三陸町へと。

道路は寸断もされず、渋滞にもかからず、思ったよりも早くに到着。社協の方からも、「写真撮影は、くれぐれも活動中にはしないで・・。」と説明を受けており、目に体に焼き付けておかねばと・・・。

建物に水浸したラインがない。・・・・・どこまで??・・・・そうではなかったんですね、水浸した建物なんかではなく流されたかそれでも立っていたかの建物。南三陸に近づくにつれて木々が枯れているのが目だちます。塩害でしょうか?枯れた木々と緑の木々の線が引けます。ここまでの被害だったのかと。

報道で見てきた風景とは違い、しっかり分別ができているタイヤ・がれき・車の車体金属部分。きっと多くの方々の集落があったところなのか。セメントの土台ができているワクだけが残っていました。震災地ではなく戦災地だといってきた仙台在住の教え子の言葉が巡ります。「ヒロシマの原爆ドームのような…」と表現してきた言葉そのまま。

南三陸の避難対策本部となっていたベイサイドアリーナに到着。南三陸町災害ボランティアセンターで8時半からボランティアの仕事が決められるというので並ぶことになるのです。

個人での参加者・団体での参加とそれぞれです。小さなテントの中からは、「バナナとアクエリアスを持っていってくださいよ」との呼びかけも。ボランティアを支援していくボランティアの存在でした。二日目は、ちゃんこ鍋とおにぎりの支援。いただきました。おいしかった。スープがとっても。
  
<この写真は、ボランティアセンター情報のネット掲載分から引用>





また以下の記事も。 8月17日
  千葉中央バス株式会社 様・あずさ監査法人 様・特定非営利活動法人 京都相撲ネットワーク 様に混じって 川西市老人クラブ連合会 様   以下多数。


寄贈された品物・お名前など、日々、ボランティアセンターからブログ掲載されています。

一日目到着の日は、ベイサイドアリーナ周辺の草ひきでした。暑い夏しげった雑草の除去作業。炎天下、まだまだ暑さいっぱいの昼間、一日の作業。「シルバー人材センターに雇ってもらえるようになったわ。」と70歳台の参加男性に評価を受けながら、なれぬ手つきの鎌さばき。これで倒れる方が出てはならないと4時までの予定を3時で切り上げ。しかし私の取った水分は、この日一日で1.2リットル。「ここまで来て草刈り??」そんな思いが頭をよぎったのは私だけ?我が家の庭もぼうぼうなのに・・・。それでも声にはならず、手を動かしながら、「草引くよりももっとすることないの?」の思い。

車の助手席から、頭を下げてこちらに。・・・・ごくろうさまですの思いでしょうか?
地元の方です。「困っている時はお互い様。一人じゃないんですよ。」の心持ちを思い返し、ただただ黙々と。
道路に座り込んで昼食中、横揺れを感じました。まだまだ余震があるのですね。

二日目、同じように8時半並び、公立志津川病院の建物に入るボランティア活動を指示されました。解体が決まっているこの建物になぜ人が入って活動をしていくのかの問いに、泥の中に混じりこんだごみの分別をしていく必要性があるということ。納得です。病院であったことで、医療用の器具・押し寄せた津波に割れた窓ガラス・がれき・レントゲンフィルム・カルテ・金属片・釘の衝いた木切れ・砂埃とどろに混じっている鳥などの死骸・生活用品の数々に出会いました。

何人の方々が急なる津波におびえながらの最期を迎えられたのでしょうか。

きっとここはレントゲン室であったのではと思える部屋でした。電気はなくて自然のあかりを頼りに東京経済大学の学生・川西市からの仲間。NAGOYAと背中に表示の方々・もう4か月もここで活動中という外国からの人。予定の指定場所を上回り、帰途時間のくる2時50分まで精一杯暗い中で力合わせ。残ってしまったできない分は、大学生にお願いして。きっと彼らは明日もここで活動をつないでくれて1階から4階まですべて作業をいったんやり終えてくれると思いました。

何しろトイレがなく、ベイサイドアリーナかコンビニまでいかねばならず、なたその距離ではなく、東京経済大学のバスで32人の学生さんとともに川西女性陣11人バスでトイレまで運んでいただけました。
お世話になりました。

震災から約1か月後に公立志津川病院付近で撮影された写真。津波で住宅は跡形も無く流され、周囲には瓦礫が散乱している。<ネットから引用。写真はすべてネットから。>




3階建は南三陸町の防災センター。この3階に駆け上がり、30人の町職のうち8人が生存となったといわれている。ここで難を逃れた一人の町長が指揮をとる南三陸町。

たった2日間の活動でしたが、身も心も、これでいいのかと思うばかり・・・。
疲れました。

森林が迫っていると見えてしまった瓦礫の山、まだまだたくさんの力合わせのいる場です。せめてもっとたくさんの機械があればと思えます。人がうずくまってしていく作業もあるでしょう、積まれた瓦礫はどこにおけばいいのでしょう。どうやって運べばいいのでしょう。公立志津川病院の回りには覆いかぶさるような瓦礫の山々です。建物内部のごみ分別は、おそらくは今回で終わりとなるでしょう。

当初、陸の孤島とされ、道路の寸断も自衛隊によって通過できるようになり、映像で見たこの病院の屋上からのSOSも目に焼き付いています。3階建ての防災センターは、町内放送をして、「早く逃げて!!!」と最後まで呼びかけた女性の行動を知りえた場所です。

福興市を定期的に企画して動くボランティア集団も常駐していて、心強い限りの場です。しかしもう夏も終わり、8月も終わります。休み中を生かした学生さんや国家試験を受けるために時間を取っていたのでここで4か月過ごしたというボランティアもこの町を去ることでしょう。冬も来ます。きっと雪深い地でしょう。

この先どうやって活動を継続して行けるのか、このまちの再生をどう考えてゆくのか。真に能力のある方々の知恵の結集が必要とされるのではないでしょうか。この地に住んできた町民の考えを聞き取りながら、このまちの復興へと連動していくことになるのではないでしょうか。

避難から復旧へそして復興へと動き出しているのは事実です。

南三陸町・女川町への復興支援は川西市が、他の兵庫県の自治体と協力して受け持つとされています。効率よく、そして愛のある動きをしていくためにもせめて本町の職員と共に、担当者自治体同士が、まちの復興図を示しあいながら、決め込んでいく作業は今必要ではないでしょうか。ボランティアですること、行政マンとしてすること、しっかり区別をつけながら、機械の増も含めて、建設現場のあの大きな力を当て込んで進めていくことになるのではないでしょうか。

近隣自治体では、6月議会で補正予算を付けて支援をつないでいくことを挙げてきています。9月議会でも追加予算が出されるように聞きます。その内訳としてボランティアバスを継続して走らせてゆくことも入っているようです。現地からの真の要望がしっかり届いているのでしょうか。川西市としては、6月議会でも補正予算をこの震災関連でつけるには至っていません。今回の社協のバスも急なる第1回目の事業だったと思えます。今後長い支援となっていくはずでしょうが、川西市としてどう取り組んでいこうとしているのか、先が見えてきませんし、現地からの支援要望がどう入ってきているのかも知らされていません。今なお市職員は現地にての活動要請を受けて現地で活躍をしています。延べにして900人以上になるかと思います。今こそ連絡を取り合いながら、行政マンの英知を絞っていく時ではないでしょうか。

現実に川西市の今も大事です。

すべての力を南三陸町・女川町に移行することはできません。だからこそ継続した取り組みを示さなければならない時ではないでしょうか。雪深い時期に差し掛かり、その閉ざされた中での試行はきっと春につないでいけることになるのでしょうか?そして他地域に避難された方々、仮設住宅で住まわれている方々、自宅で過ごせている方々とあるのでしょうが、そんな閉ざされた地域となるこれからの支援をどう考えていくのか。まずは地域でこれまで生活をしてこられた方々の要望をしっかりまとめていくことから進めなければと思えます。聞き取りながら、不足を補うその方法を示し、公が、民が、官がどこまでするのかをしっかり見極めていくことが必至でしょう。早急にまとめ上げていってほしいものだと思えます。
参加した川西市民すべてが、バス内でマイクで語りました。

・追い込みで、女性のスコップ扱いがうまくなった。

・皆さんから力を頂きました。

・4日間お疲れ様でした。ご苦労様でした。

・夏の初めに天に召されるかと思わる体験をした。いただいた命の感覚があり参加していきたいと思った。

・こういう機会にまた参加したい。

・添乗員さんのなみではないお心遣い、社協の職員の方々の声掛け、配慮の大きさ、そして参加のみなさんの好意的な発想に支えられて、無事1回目のバス事業を終えました。継続になっていくのか否か、そういったことも考えながら1回目の参加者の一人として、議会でも意見を述べていきたいと思っています。

・女川町での音楽での支援活動となった方々は、この機会を与えていただけたことに感謝と4か所まわって、人の集まりは思ったよりも少なかったけれど涙ながらに語られた地元の方々との触れ合いに震える感動をもらった。

・それぞれが戻ってきた川西市の中で語りつくしたい。

お読みいただいてありがとうございました。




≪参考≫ネット情報を資料として掲載しました。

東海地震・東南海地震・南海地震の巨大地震にも備えを・・・

気象庁は「大きな地震の発生が重なったのは偶然と思われる。しかし、東日本大震災が余りに大きな地震で、中部地方から東側を中心に地殻の状態が変化してしまったため、これまでのバランス関係が崩れたところで大きな地震が起こりやすくなっているのだろう。どこで大きな地震が起きてもおかしくないので、地震への備えは十分にしてほしい」と話した。
今まで言われてきた30年以内に巨大地震が発生する確率は
「根室沖」 40%   「三陸沖北部」 90%   「宮城県沖」 99%  
「首都直下型」 70%   「東海地震」   87%   「東南海地震」  60%    「南海地震」 50%  安芸灘ー豊後水道 40%  とされていました。 
予想されていた宮城県沖などは巨大地震が発生してしまいました。中部地方から東側を中心に地殻の状態が変化しています。特に中部地方は巨大地震の発生が心配される地域です。

東海地震、東南地震、南海地震の3つが連動して起これば巨大地震となって大津波が押し寄せる心配があります。




宝永4年10月4日(1707年10月28日)には東海地震、東南地震、南海地震の3つが連動して起き中部、近畿、四国、九州で大きな被害をもたらせました。地震は多くの家屋を倒壊させ、津波で多くの人の命を奪いました。また、宝永地震の49日後には富士山が噴火し、江戸にも火山灰が降ってきました。

その後も安政元年1854年、東海地震発生32時間後に南海地震が発生しました。この時も家屋の倒壊、焼失、大津波などで多くの人が犠牲となりました。 地震は突然起こり、津波は数分で到達する地域もあります。第一波、第二波と襲ってきます。すぐに高台へと避難することを普段から心がけてください。海岸付近の幼稚園、小学校等は以前から心配はされていますが、残念ながら対策が進んでいない地域が多々あります。

特に地盤がやわらかい場所に家が建っている場合は揺れが大きいので注意してください。家具の固定はテレビ、タンスだけではなく、冷蔵庫もしっかり壁や天井に固定してください。電子レンジなども地震で飛んできたという事例もあります。レンジも台に金具などで固定してください。
これから家を購入、建てる方は必ず地盤調査をし、自宅の地盤はどのようになっているか、地震に耐えられるか知る必要があります。軟弱地盤なら必ず地盤改良が必要です。そして津波が到達しないであろう高台に家を建てることが必要になってきます。

今回の東日本大震災では2キロ、3キロ先で海抜もまぁなぁ高いから大丈夫と考えられていた地域も、津波の被害に遭いました。川を津波が逆流してきた地域です。

今回の津波では5階建て建物の5階にも津波が押し寄せました。 想定外だらけの大震災だったので、これからは想定外も考えて震災の備えをしていく必要があります。
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